河村勇輝さんはB.LEAGUEの横浜ビー・コルセアーズに所属するプロバスケット選手です。
プロ選手になるまで支えてくれた家族の影響は大きいようで、幼少期は両親が教師で不在の時が多く、当時はおばあちゃんの家で過ごしている日々も多かったようです。
プロ選手になった頃におばあちゃんからもらった手紙がとても泣けると話題なっています。
その手紙の内容や父親のバスケのサポートについて感動エピソードや家族構成などご紹介したいと思います。
河村勇輝のプロフィール

河村勇輝選手のプロフィールをご紹介します。
名前:河村勇輝(かわむら・ゆうき)
生年月日:2001年5月20日 22歳
出身地:山口県柳井市
身長:172cm
体重:72kg
中学校:柳井市立柳井中学校
高校:福岡第一高等学校
大学:東海大学
プロ選手期間:2019年~
好きな食べ物:肉全般・エビフライ・アボカド
嫌いな食べ物:マシュマロ・トマト・うどん
使用しているバスケットシューズ:asics(アシックス)
所属リーグ:B.LEAGUEの横浜ビー・コルセアーズ
ポジション:PG(ポイントガード)
経歴:2019~2020年 三遠ネオフェニックス
2020年~横浜ビー・コルセアーズ
河村勇輝のおばあちゃんの手紙は泣けると噂!

2023年6月2日、バスケットボール男子Bリーグの表彰式が東京都内で行われ、MVP(最優秀選手賞)と新人賞とダブル受賞となりました。
その表彰式の様子をB.LEAGUE(Bリーグ)の公式X(ツイッター)で「幼い頃から見守り続けてくれた祖母からの手紙に、涙溢れる河村勇輝」と動画を公開しました。
泣けるおばあちゃんの手紙の内容です↓
元気ですか?
おばあちゃんです。
バスケットで素晴らしい賞を頂いたことをお父さんから聞きました。
本当におめでとう。
よく頑張りましたね。
両親が教師で忙しく、小さい頃から朝晩はいつも私の家で過ごしましたね。
バスケットが大好きで、毎日家の庭で練習に励んでいた姿が思い起こされます。
中学のときは練習や試合で帰りが遅くなった時に車で迎えに行ったことも懐かしいです。
あの頃の努力が今、花開いたんですね。
本当によかったね。
これからも勇ちゃんの健康と活躍を毎日祈ってますよ。
頑張ってね。
B.LEAGUE公式より引用

この手紙が読まれて時、河村勇輝選手は涙をこらえるのが必死のようでした。
読み終わった後の河村勇輝選手のコメントはこのように語られていました↓
「両親が教員ということもあって、すごい忙しくて、なかなか家にいない中、祖母の家に朝から夜までずっといた日々が続いていたので、ほんとにバスケットが不自由なくできたのも祖母がいたからなので。今も病気だったり年齢もいっていて、毎日必死に生きてる姿を見て、自分はどんなつらいことも祖母の姿を見てるとやっていけるって気持ちに毎日なっているので、ほんとに感謝したいです」と思いを語った。
スポーツ報知より引用
この賞を獲得できたのは、自分の実力、僕が一番だったわけではなく、厳しく、そして優しく育ててくれたおばあちゃんや両親、そしてバスケット関係者やチームメイト、ファンの皆さんのおかげです。
と涙ぐみながら語っていました。
「自分の実力だけじゃない、まわりの支えてくれた人達のおかげ」と語った河村勇輝選手、格好いい、これぞスポーツマンですね!

皆さんの声も涙・涙とコメントがありました↓



筆者もこの動画をみて何回も美しい涙をいただきました。。。
父の感動エピソードや家族構成も紹介!
おばあちゃんの心暖まる手紙もありましたが、ご両親は教員だったので毎日朝から晩まで忙しい職業です。
それでもお父様は忙しい中、河村勇輝選手の大好きなバスケットボールの自宅での練習の環境を整えてあげました。
どんなエピソードがるのでしょうか?
父の感動エピソード
河村勇輝選手の父親は教師で山口県の柳井市立柳井中学校の英語教員であり、バスケット部の顧問も担当していました。
幼少期は広島カープを応援する野球少年でしたが常に動き回る競技があっているのではないかと思い小学校2年生からミニバスケットボールに転向したようです。
特に父親からバスケットボールをやりなさいと強制されたのではなく自主的に判断したそうです。
このようなことから河村選手と父親は子供を尊重した教育をされていたようですね。。
自宅にバスケットゴールを作ってあげた

河村勇輝選手が小学校2年生からバスケットを習っていましたが4年生になってから一気にのめり込みました。
その真剣な姿を見て河村選手の父親は自宅でバスケの練習を快適な環境でやらせてあげたいと、忙しい教員の仕事をされながら作ってあげました。
自宅の庭にバスケットゴールを作ってあげ、夜も練習できるようナイター仕様に設置した。
雨が降った日は庭(コート)にブルーシートを敷き、雨がやんだら直ぐに練習できる環境を整えてくれた。
ボールが家の外にいかないようにネットを張った。
父親が作ってくれた自宅のバスケットゴールで自主練に励み、小学校6年生の時には1日1,000本のシューティングを日課にしていました。
また1対1で練習相手になってあげたり、シューティングに付き合ってあげたりとひとりの指導者として河村選手を支えていました。
そのおかげで当時のチームは16年ぶりに全国大会に出場し、日々のシューティングの練習の成果で多くの得点を稼いでブロック優勝となりました。
河村選手は「あの庭で練習したことが、自分の今までのバスケ人生のなかで基礎になっている」と語っています。
進路の決断は自分自身
河村勇輝選手が中学3年生の夏、全国屈指の強豪校・福岡第一高等学校からスポーツ推薦の話が来ました。
その時、憧れの学校からの話でとても嬉しい心と両親の希望かもしれない地元の進学校に行き普通の人生を歩む事が親孝行ではないかという心との葛藤で悩んだそうです。
悩んでいる河村勇輝選手を見て両親は
勇輝の考えを尊重する
と言ってくたと同時に自分自信で決断するしかないと強く思ったようです。
と優しく力強い言葉をかけてくれました。
父親のようになりたい
河村選手の父親は「熱血おやじ」のタイプではなく、口うるさく言われた事は全然なかったようで、自主性を尊重してくれるタイプだったようです。
バスケが嫌いにならないように環境を整えてくれたり、良いプレーができた時には帰り道で
今日は練習していたことが1回できたな、よかったぞ!
とこのように褒めれられる事がモチベーションになっていたようです。
口を開くときはヒントをあげる時と褒める時だけの静かに見守る父親だったのでしょう。
父親のようになりたい
河村選手は父親のようになりたいと19歳の時に語っています。
「自分も将来、父親になる日が来たら、子どもの自主性を重んじた上で環境をきちんと整えてあげたいな、と。『うちの父のような』父親になりたいなという思いはずっと抱いています」
Number webより引用
きっと河村選手はお父様のようになれますね、きっと。。。
家族構成
河村勇輝選手の家族構成についてご紹介します。
- 父:河村吉一
- 母
- 長女
- 次女
- 長男:河村勇輝
母・長女・次女の名前は非公開でした。
河村家は父・母と2人の姉妹と5人家族です。
父親
河村勇輝選手の父親の名前は「河村吉一」さんです。
河村勇輝選手の父親は教師で山口県の柳井市立柳井中学校の英語教員であり、バスケット部の顧問も担当していました。
河村選手が生まれた当時はドイツに住んでおり、仕事は河村選手が3歳の時までだったそうです。
父・吉一さんは田臥勇太のファンで、河村選手は小学校の6年間、田臥勇太他NBA選手のプレーのビデオを父・吉一さんと一緒に観ていたそうです。
子供の頃はこういったビデオ鑑賞は影響力大なのかもしれませんね。。。
母
河村勇輝選手の母親も教員です。
母親の情報は明らかではありませんが、スポーツと勉強の両立のサポートがしっかりしていたようです。
河村選手の成績は
柳井市立柳井中学校では学年200人中1桁
福岡第一高等学校では「国公立大学進学コース」
とバスケットに力を入れているのに勉強も優秀とは、まさしく文武両道ですね。
週に3回の塾とバスケットとの両立をうまくこなしていたのもご両親のサポートがあったからでしょう。
中学校時代は成績が200人中1桁をキープしていたころから、頭の回転も早く現在のポジションのポイントガードに相応しい選手ということがわかりますね。
ポイントガードはコート上であらゆる状況に対応し、感情的にならない冷静さや、試合の流れを把握する判断力が必要なので、この部分はご両親の遺伝子を受け継いでいるように思います。
2人の姉妹
河村選手には2人の姉がいるようです。
名前や年齢は非公開となっているようです。
現在わかる情報は
・河村選手と4歳前後、年齢が離れている。
・早稲田大学を卒業している。
姉の背中を見ていて、自分もスポーツやりながら勉強と両立するのだ当たり前だったと思っていたようです。
環境って本当に大事ですね。。。






まとめ
河村勇輝選手のおばあちゃんの感動の手紙についての内容や父のエピソードや家族構成についてご紹介しました。
おばあちゃんの手紙が感動して涙が出てしまいそうでした。
これからの河村勇輝選手のご活躍を応援しております。