服部利之さんは元調教師である父親の服部利之さんの厩舎(きゅうしゃ)で厩務員としてキャリアをスタートされました。
一般にはメジャーと言えない血統を次々と走らせる調教師として有名でした。
2023年7月28日に病気のため65歳の若さでご逝去されたと訃報が飛び込んできました。
服部利之さんといえはブルーコンコルドが競馬界では有名のようです。
服部利之さんの経歴やプロフィールなどご紹介したいと思います。
服部利之のwiki経歴プロフィール!

服部利之さんのプロフィールをご紹介したいと思います。
名前:服部利之(はっとり・としゆき)
生年月日:1958年6月12日 65歳(2023年10月現在)
没:2023年7月28日
出身地:京都府京都市伏見区
所属団体:JRA
調教師免許取得:1998年(1999年開業)
JRA通算成績は209勝、地方29勝(2023年7月23日現在)
初出走:1999年3月6日 2回中山3日目11Rツルミワールド・3着
初勝利:1999年4月4日2回阪神4日目7Rエイユースナイパー・延13頭目
主な重賞勝利(目玉となる大きな競走)
2012年 黒船賞受賞(かきつばた記念・東京スプリント)・競走馬はセイクリムズン
引退日:2023年7月28日
所属
1984年7月~1984年10月 服部正利/厩務員
1984年11月~1988年9月 服部正利/調教助手
1988年10月~開業 目野哲也/調教助手
開業~2023年7月 栗東T.C(栗東トレーニングセンター)
栗東T.C(栗東トレーニングセンター)

栗東トレーニングセンター
住所:〒520-3005
滋賀県栗東市御園1028
℡:077-558-0101
栗東トレーニングセンターはJRA(日本中央競馬会)の施設・トレーニングセンターです。
約2000頭のサラブレッドを管理・調教する施設です。
一般の方も抽選で見学や乗馬体験などもできるようです。
ブルーコンコルドを競走馬へ育てた調教師!

服部利之さんは父の服部正利元調教師の影響で競馬の世界へ入りました。
自らのポリシーである相馬術(馬の能力や資質を見抜くことができる技術)を信じ、G1馬(競馬の競争において国際的に最高の格付け)のブルーコンコルドを始めとする一般にはメジャーとはいえない血統を次々と走らた調教師です。
ブルーコンコルドのプロフィール
ブルーコンコルド
生年月日:2000年4月11日
性別:牡
毛色:鹿毛
死没:2016年5月2日(16歳没)
抹消日:2009年11月7日
品種:サラブレッド
父:フサイチコンコルド
母:エビスファミリー
母の父:ブライアンズタイム
調教師:服部利之
馬主:ブルーマネジメント
生産者:川上悦夫
産地:北海道新冠町
主な勝鞍:05’JBCスプリント(G1)
近親馬:シャドウムーン・チャンピオンブルー
初期はGⅡ京王杯2歳Sを勝つなど芝で活躍し3歳秋からダート路線へ
2005年:JBCスプリントでG1初制覇を飾る
2006年:東京大賞典、南部杯3連覇、G1で7勝
ダートグレード競走最優秀馬に選出
生涯成績
50戦15勝
31戦7勝(中央競馬)
19戦8勝(地方競馬)
獲得賞金
9億7530万9000円
3億6920万9000円(中央競馬)
6億860万円(地方競馬)
ブルーコンコルドとの出会い

ブルーコンコルドの出会いは1998年、服部利之さんは技術調教師だった頃研修の為にヨーロッパに行きました。
アイルランドの大牧場クールアスタッドを訪れた時に出会った一頭の種牡馬(繁殖用の牡馬)に心を奪われました。
「こんな馬がこの地球上にいるのか」と強い衝撃を受けたようです。
その馬に強い衝撃を受け、はっきりと脳裏に焼き付くほどようでした。
北海道新冠町の牧場へ
そして2001年の木枯らしが吹く寒い時期、北海道の新冠町にある日本の競走馬生産者の川上悦夫さんの牧場を訪ね、馬を眺めていると、ある一頭が服部さんのほうにトコトコと近づいてきました。
その仔馬をみた瞬間にアイルランドで見た馬の姿がフラッシュバックしました。
ついに理想の馬が目の前に現れた
これを逃したらたらチャンスはもうない
服部利之さんは第一印象で即決だったそうです。
ブルーコンコルドは虚弱体質だった
ブルーコンコルドは9歳まで現役で通算キャリアは50戦とタフな競走馬と思いますが虚弱体質ようでした。
若い頃はよく発熱をしたり筋肉痛をしたり、いつも休んでいるようでした。
馬も人間と同じような症状があるんですね。
驚きました。
トレーニングセンターに入ってからも歩様はノタノタとゆっくりで引き運動を見た他の調教師に「いつデビューするんですか?」と言われることもあったようです。
ゲートに入ると一変

ブルーコンコルドはある日ゲート試験を受けることになります。
池添騎手に予行演習がてらに試験にも乗ってもらうことになり服部利之さんは「この馬ちょっと面白から」と池添騎手に声を掛けると「ダクもロクに踏めないのに…」と首をかしげていたそうです。
しかし、ゲートが開いた瞬間にブルーコンコルドはビュンとスピードに乗って走り、池添騎手の身体が置いていかれそうなスピードだったそうです。
服部利之さんは↓
これなら初戦からそこそこ行けるやろ
と直感で思ったそうです。
ドラマのワンシーンみたいで、色々な特徴がある馬がいるんですね。
2005年の3戦が山場
服部利之さんは2005年のプロキオンステークス・シリウスステークス・JBCスプリントの3戦が競走生活で一番の山場だったようです。
喜ぶ余裕はなく、思い重圧を感じていた
服部利之さんは初の重賞タイトルを手に入れた時は嬉しさや楽しさの感情は湧くことはなく、これからも一戦一戦勝って賞金を加算しなければならない重圧で喜ぶ余裕はなかったようです。
厳しい世界ですね。
絶対に負けられないと、自分はブルーコンコルドの為に何ができるか模索する日々でした。
俺はひたすらに馬を眺めた。飽きるほどに眺めたよ。眺めて、眺めて、眺め尽くした。いい部分も悪い部分も全部、この馬のすべてを見逃さないように。
東スポ競馬より引用
いい部分も悪い部分もこの馬を全てをずっと眺めていた….
ブルーコンコルドに熱い思いが伝わっていたでしょうね。

3戦全て勝利
服部利之さんはレースの内容は覚えていないようですが、勝ったことは覚えているようでした。
その後2006年には黒船賞、JBCマイル、東京大賞典、マイルチャンピオンシップ南部杯3連覇と順調に勝利を飾るようになりました。
まとめ
服部利之さんのwiki経歴やプロフィール、ブルーコンコルドへの熱い思いや苦悩などご紹介しました。
素晴らしい調教師がひとり旅立ちました。
今頃はブルーコンコルドと会っているかもしれませんね。
ご冥福をお祈り致します。