鈴木敏夫さんはスタジオジブリの代表取締役プロデユーサーで有名なかたですね。
日本で最初のアニメブームを盛り上げた一人であり、アニメ文化が海外で愛されるようになったのも鈴木敏夫さんの力があったのではないかと思います。
そんな鈴木さんは普段の生活はどんな感じなのでしょうか。
家族構成など調べていきたいと思います。
鈴木敏夫プロフィール

鈴木敏夫さんのプロフィールをご紹介します。
名前:鈴木敏夫(すずき・としお)
生年月日:1948年8月19日 75歳(2023年10月現在)
出身地:愛知県名古屋市
職業:編集者・映画プロデユーサー
学歴:慶應義塾大学 卒業
1972年に株式会社徳間書店入社し「週刊アサヒ芸能」企画部へ配属。
1978年に異動した編集部でアニメ雑誌「アニメージュ」の創刊に参加。
副編集長・編集長を務めるかたわら「風の谷のナウシカ」「火垂るの墓」「となりのトトロ」などの高畑勲・宮﨑駿作品の制作に関わる。
1985年にスタジオジブリの設立に参加。
1989年からスタジをジブリ専従。
以降ほぼすべての劇場作品のプロデュース。
現在、株式会社スタジオジブリ代表取締役プロデユーサー。
鈴木敏夫の家族構成まとめ!
鈴木敏夫さんの家族構成は妻と長女の麻実子さん、長男と4人になります。
現在は恵比寿の同じマンションにお住まいで奥様と娘の麻実子さん夫婦と長男の蘭堂(らんどう)君と4人で暮らしているそうです。
麻実子さんの弟の情報も今のところ非公開となっています。
同じマンションで別々に住んでいる?
鈴木家の家族の過ごし方はユニークで同じマンションでそれぞれ別の部屋に住んでいるようです。
所有している部屋は3つあるようで、4階と8階ともう一部屋は不明です。
家族が増え、一軒家を予定していたが。。。
なぜ同じマンショで別々に住んでいるのでしょうか?
奥様とは別居状態なのでしょうか?
今では家族はそれぞれ別の場所で暮らしいているが、笑い声のたえないそれぞれの鈴木家には、今も変わらずたくさんの人が集まっている。
鈴木家の箱より引用
と言うように別々でも家庭円満ってことでしたね。
色々は家族形態がありますからね。
妻の父親の影響で部屋が3つに?

二人の子供が増えてマンションも狭くなってきたのでそろそろ一軒家に住む計画をしていた鈴木敏夫さんでしたが
妻の父親と長女の麻実子さんに反対されます。
妻の父親には↓
カミさんの親父さんが、僕に影響を与えているんですよ。結婚してひと部屋自分たちで買ったんですが、そのうち狭くなってもう少し広いところへ行こうと。そういうとき、普通だったら前のところを売るじゃない? でも、親父さんが「ダメだ」と言うわけ。「2軒目も買え、1軒目を貸せばなんとかなるから」ってね。僕、親父さんとすごく気が合ったんだけど、2軒目を買ったあと、すぐに「3軒目を買え」と言われて。そのときは反発したんだけど、結果として、部屋が増えたよね(笑)
sumoより引用
長女の麻実子さんには↓
父が60人のひとを呼んでパーティーを始める少し前、突然父から引っ越しの話をされた。私たち4人家族が住む恵比寿のマンションはリビングの他に部屋がふたつで、子供部屋を作ったら父と母が寝る部屋がなくなってしまう。ひとも呼べる、もう少し広い一軒家に引っ越そうと父は考えていたようだ。
鈴木家の箱より引用
多くの子供は「自分の部屋ができる!」「家が広くなる!」と喜ぶのかもしれない。実際、弟はそういう反応だったようだ。
でも私は「絶対に嫌だ!!」と泣き叫んだのだった。
かわいい娘に泣き叫ばれたら、お父さんは諦めるしかなかったのでしょう。。
妻の父親からも2軒目を買えと言われ、、、
今となっては住めば都ですよね。
同じマンションに40年以上住み続けているそうです。
妻は料理上手で娘は父のプロデューサーで活躍中!
それぞれ別の部屋に住んでいる鈴木家。
妻と長女の麻実子さん、長男について調べてみました。
鈴木敏夫さんの妻
鈴木敏夫さんの妻の名前や写真などの情報は非公開となっております。
奥様とは別の階に住んでいるようですが夫婦関係は程よい距離で円満のようです。
お料理がとても上手なようで、人が集まると沢山振る舞うようですね。

美味しそうですね。
鈴木家には沢山の来客があるようで、いつも賑やかなようです。
日曜日にはそんな歳も職種も違う皆と家族が私の家で一堂に会し、ごちゃまぜになって母と私の手料理を食べている。同じマンションに住む母は自宅で料理を作ってくれて、私の友達が母の部屋の階までそれを取りに行くのだ。
鈴木家の箱より引用
私の中学の友達、高校の友達、ママ友、父の学生時代の友達、父の仕事仲間、そんな出会うはずのない皆がひとつの食卓を囲んで談笑している。
猫の世話
鈴木敏夫さんの妻は近所の猫に餌をあげるのが日課になっているそうです。
近所の猫に餌をあげるのが日課になった母のもとには、餌場に猫を見に来る猫仲間が来るようになった。母が餌をあげられないときはローテーションでスケジュールを組んで餌をあげたりしている。
鈴木家の箱より引用
ほのぼのとした奥様ですね。。
娘の麻実子さん
娘の麻実子さんは作詞家として活動されていたり、オンラインサロンを運営されているようです。
娘の麻実子さんの画像です。↓

アーティストの雰囲気があって、とてもお綺麗なかたですね。
お二人はとても仲良しのようです。
娘の麻実子さんのプロフィールです。
名前:鈴木麻実子(すずき・まみこ)
生年月日:1976年 49歳(2023年10月現在)
出身地:東京都渋谷区恵比寿
職業:作詞家
オンラインサロン「鈴木Pファミリー」運営
主な作詞:カントリーロード(和訳「耳をすませば」主題歌)
ふたたび(「千と千尋の神隠し」挿入歌)
心のかけら(ゲーム「二ノ国」主題歌)
家族:森田タケヤ(婿)・長男の蘭堂くん(2011年か2012年生まれ)
娘の麻実子さんは主な作詞はやはりジブリ関係の作品が主なようです。
千と千尋の神隠しの挿入歌の作詞は麻実子さんが作られたんですね。。

作詞家になったきっかけは父・鈴木敏夫さん
麻実子さんが作詞家になるきっかけは父・鈴木敏夫さんでした。
ジブリ作品「耳をすませば」の主題歌カントリーロードの和訳・作詞は麻実子さんです。
「まめ、作詞してみる?」
リビングでくつろいでTVを見ていた私に父が突然そう聞いてきたのは、私が18歳の頃だった。私は開口一番「ギャラいくら?」と言ったらしい。言ったらしいというのは、当の私は覚えていないからだ。
鈴木家の箱より引用
なぜ娘に作詞をお願いしたのでしょう?
もともと詩を書くことが好きだった事ともともと宮崎駿さんが途中まで作っていたようですがなかなか進まないようで、
中学生の主人公に近い当時17歳だった麻実子さんにお願いしたようです。
今度作っている『耳をすませば』という映画で使う歌詞を宮崎さんが書いていたのだが、なかなかうまく書けず、父が「そろそろ書いてくれなきゃ困るよ」と急かすと、宮崎さんは「そうだ! 鈴木さんの娘に書いてもらおう!」と言い出したそうだ。映画の主人公が中学生だったので、歳の近い女の子に書かせたらいいんじゃないかということだったらしい。
鈴木家の箱より引用
そのような経緯があったのですね。。。

さすが鈴木敏夫さんの娘さん、才能がありますね。。
夫は婿でイクメンパパ
麻実子さんの夫は森田タケヤさんと言って(漢字が不明)、鈴木家のお婿さんのようです↓

とても穏やかな優しい雰囲気のかたですね。。

上の画像は正面から写っている夫のモリタ・タケヤさんです。
マスクをされていますがイケメンなのがわかりますね。い
夫はジブリ美術館のショップ店長をされているようです。
優しい夫のようで育休を3ヶ月取得されて子供の面倒も見るマメな一面がみえます。
鈴木敏夫さんの長男
鈴木敏夫さんの長男の情報については非公開となっておりました。
麻実子さんのコラムには弟さんについて書いてありました↓
父が60人のひとを呼んでパーティーを始める少し前、突然父から引っ越しの話をされた。私たち4人家族が住む恵比寿のマンションはリビングの他に部屋がふたつで、子供部屋を作ったら父と母が寝る部屋がなくなってしまう。ひとも呼べる、もう少し広い一軒家に引っ越そうと父は考えていたようだ。
鈴木家の箱より引用
多くの子供は「自分の部屋ができる!」「家が広くなる!」と喜ぶのかもしれない。実際、弟はそういう反応だったようだ。
弟さんは広い一軒家に住みたいと密かに思っていたみたいですね。。
意見が分かれて当然です。。
いつも色々な人が集まる賑やかで楽しい住まい

鈴木敏夫さんのマンションに訪れる仕事仲間は若い方たちが多く、会話のひとつひとつが宝物のようで楽しいひとときのようです。↓
父のれんが屋に来る仕事仲間は、よく来ていたおじさんたちに変わって20代の若者たちが集まるようになり、華やかだ。
父と若者たちの組み合わせは私からすると異様で、一度「パパみたいなおじさんとこんなに会っていて楽しいの?」と聞いたことがある。彼らは「鈴木さんとの時間はプライスレスです」と言って毎週のように父と銭湯に出かけるのだ。銭湯の中で父と話す会話ひとつひとつが彼らには宝物らしい。どうやら彼らにとっては父そのものがワクワクの箱なのだろう。
若者たちに慕われる鈴木敏夫さんは素敵なかたですね。
仕事仲間がいない時はこんな風にソファーで寝転んでいるのが定番のようですよ。。

まとめ
ジブリの鈴木敏夫さんのご家族についてご紹介しました。
とてもにぎやかで色々な人達が出入りして、いつも楽しそうな日々を送られているようですね。
皆様のこれからのご活躍を応援しております。