【画像】白井貴子の若い頃は総立ちの女王!全盛期の音楽活動まとめ!

  • URLをコピーしました!
スポンサーリンク

白井貴子さんは環境問題に取り組みながら、歌手としてライブやラジオ出演など現在も活躍なさっています。

若い頃はロック界の女王として当時は大人気の女性シンガーでした。

パワフルだった白井さんの全盛期の頃をご紹介したいと思います!

スポンサーリンク
目次

白井貴子のプロフィール

白井貴子さんのプロフィールを紹介します。

白井貴子(しらい たかこ)

生年月日:1959年1月19日 64歳(2023年10月現在)

出身地:神奈川県藤沢市

学歴:京都女子高等学校卒業

   フェリス女学院短期大学 音楽科卒業

職業:歌手・シンガーソングライター

活動時期:1981年~ 

活動全盛期:1981年~1986年頃

1981年 CBSソニーの主催するオーディションに合格し歌手としてデビュー

1982年 佐野元春のバックコーラス「プリティ・フラミンゴス」の一員としてライブやレコーディングに参加

同年「白井貴子&CRAZY BOYS」を結成

1986年 西武球場や日本武道館で大規模なライブ活動を行う

1988年 事務所とレコード会社を辞めて「CRAZY BOYS」のリードギター本田清巳と渡英した。(後に本田清巳さんは白井さんと結婚)

1990年 再活動するが今までのロックミュージシャンの活動とは異なりポップス色を強めた楽曲になる。

スポンサーリンク

【画像】白井貴子の若い頃は総立ちの女王!

白井さんの若い頃、当時は「総立ちの女王」とよばれ、女性ロックシンガーの先駆け的存在でした。

総立ちの女王として呼ばれていた

白井さんのライブでは白井さんがステージに上がりスポットライトを浴びた瞬間に、群がる観客が総立ちになって、最後の曲まで熱狂が止まらないところから「総立ちの貴子」「学園祭の女王」とも呼ばれていて、日本での女性ロックシンガーの先駆け的存在となりました!

こうしたシーンは今では当たり前ですが当時はすごい事だったんです!

当時は80年代全盛でアン・ルイス、山下久美子、渡辺美里、永井真理子、レベッカ、プリンセスプリンセス、SHOW-YAなどが活躍されていました。

白井貴子と同時期に活躍していた女性アーティストたち(画像)

アンルイス

山下久美子

渡辺美里

永井真理子

レベッカ

プリンセスプリンセス

SHOW-YA

当時は女性シンガーは多数いましたが、白井貴子はまわりとは一味違う演出をされていたように思います。

この頃は皆さん個性が出ていてパワーがあったように思いますが、そう感じるのは筆者だけでしょうか。。。

白井貴子の声質

白井さんの声質は中音域から高音へのびやかさが最大の魅力です。

歌いかたは言葉ひとつひとつの発音がとてもきれいで日本語を大切にするタイプです。

今のアーティストで言えば木村カエラさんが非常によく似た歌唱法のようです。

1983年頃のライブにて

              

デビュー前

白井さんの生まれは神奈川県藤沢市ですが、幼稚園の時は福岡県、小学生の時は名古屋に住んでいました。

中学から高校までは京都で過ごしていました。

京都女子高等学校とフェリス女学院はお嬢様学校なので裕福なご家庭だと思いますが本人曰く「父は普通のサラリーマン」と語っています

      京都女子高等学校

        フェリス女学院短期大学

父親の仕事の都合で3歳の時は、自宅に先生を通わせてピアノを習っていました。

白井さんは練習が嫌いで垣根を飛び越えて逃げ出すような女の子だったようで、当時は活発の様子が伺えますね。

他にバイオリンも習っていたようです。

10代の頃はビートルズマニアだった

10代の頃は大のビートルズマニアでした。

3歳の頃からビートルズを繁栄に聴いていたそうですがご本人は記憶にないようです。

この頃から音楽の道に進むようになっていたのかもしれませんね。

白井さんのブログではこのように語っています。

私は沢山の音楽、特に子守唄のように私を育ててくれたビートルズから、

まずは音楽の素晴らしさを学び、ジョンからは理想に向かって突き進むことを学び、

ポールからは美しいメロディーライン、自然の中で生きる素晴らしさを学び、

ジョージからは宇宙と通信を交わすようにイマジネーションすること、
そしてオーガニックライフ、民族楽器の楽しさを学び、リンゴからはやさしく、

楽しくウイットに富んだ人柄の素晴らしさを学んだ、

白井貴子ロックコラムより引用

ビートルズは歴史に残るアーティストであり、日本のミュージシャンに多大な影響をあたえているアーティストですよね!

筆者も大好きで運転中に必ず聴くアーティストです。

スポンサーリンク

全盛期の音楽活動まとめ!

白井さんは1981年CBSソニーの主催するオーディションに合格して女性歌手としてデビューします。

佐野元春のバックコーラスだった

白井さんは佐野元春のバックコーラス「プリティ・フラミンゴス」の一員としてライブやレコーディングに参加し、翌年1982年8月には佐野元春の「SOMEDAY」をカバーしてシングルとしてリリースされました。

白井貴子&CRAZY BOYSを結成

                     白井貴子&CRAZY BOYS

デビュー当時のキャッチフレーズは(昔はあったんですね)「世界一キュートなシンガーソングライター」として売り出されていましたが、徐々にロック色を強めていき「白井貴子&CRAZY BOYS」を結成しました!

表記をソロからグループ名にして、ロックの活動を中心に行っていきます。

当時の音楽業界では女にロックは解らないと冷淡な風潮がありましたが、白井さんはそんな周りの反応をはねのけていきます。

その証拠にライブが始まると同時に観客が総立ちになり「総立ちの貴子」「学園祭のクイーン」とよばれるようになりました

10日間連続ライブ!

1984年10月には伝説と呼ばれている渋谷「ライブ・イン82」でなんと10日間連続ライブを敢行します!

このライブは観客動員数7000人、うち失神者32名という今では考えられないイベントですよね!

すでにライブハイスには収まりきらないファンを抱えている状態だったことからか、日本武道館や西武球場など大規模なコンサートを成功に導いていったのです!

白井貴子は80年代中盤までロックの女王として音楽会を席巻していきました!

当時の衣装はミニスカートでした。

その理由は関係者のかたから「もっとファンのものにならないと売れないよ」と言われたのがきっかけで以前はジーンズ姿で歌っていました。

白井さんはミニスカートでライブに出ることに抵抗はなかったのでしょうか?

「ライブ中は見られてのいいように下着の上に水着をはいている」と発言しています。

そうですよね。絶対見えますものね。水着必須です!

アルバムはTOP10入り

ライブ活動は順調でアルバムもTOP10入りします。

シングルはシチズンのCMソング「CHANCE!」が最高位12位でした。

アルバム:ハートアタッカー(1984年)
アルバム:Do For Loving(1981年)
シングル:CHANCE!(1984年)

               

スポンサーリンク

まとめ

優しくて、力がある歌声がファンを魅了し総立ちの女王へとのぼりつめた白井貴子さん。

80年代を代表する女性ロックシンガーのひとりです。

現在は環境問題に取り組みながらシンガーとしても活動をなさっています。

これからのご活躍を応援しております!

スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次