なすびの懸賞生活がやらせだったのは嘘!全裸姿で過酷だったエピソード5選!

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なすびさんと言えば1998年日本テレビ系「進ぬ!電波少年」の出演で一躍有名になり、当時は日曜日の夜の時間帯でありながら高視聴率をマークしていました。

そのなすびさんが番組の企画で「人は懸賞だけで生きていけるか?」といったコンセプトで全裸姿で生活するといった現在ではとんでもない企画の放送をしていました。

ある噂ではこの懸賞生活はやらせだったのでは?と言われていますが、事実であり、なすびさんもうつ病の寸前まで追い込まれた企画のようでした。

その過酷なエピソードを筆者がまとめてご紹介したいと思います。

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目次

なすびのプロフィール

それではなすびさんのプロフィールをご紹介したいと思います。

名前:なすび

本名:浜津智明(はまつ・もとあき)

生年月日:1975年8月3日(48歳)2023年10月現在

出身地:福島県福島市

身長:180cm

血液型:O型

ジャンル:俳優・タレント

デビュー:1998年

デビュー作:進ぬ!電波少年

コンビ名:覇王樹(サボテン)活動時期不明

相方:ルンルン金城

配偶者:未婚

趣味:お菓子作り

芸名の由来

なすびさんの芸名の由来は「ナスのような30cm?の長い顔」から来ているようです。

ご家族のかたの顔の大きさは普通であって一時は両親とは血が繋がっていないのかと疑った時期があったとか。

デビュー前はお笑いコンビだった

なすびさんは一時期お笑いコンビ「覇王樹(サボテン)ルンルン金城さんとコンビを組んでいました。

「ダウンタウンのごっつええ感じ」に主演していた事もあったそうです。

当時の所属事務所はワタナベエンターテインメントでした。

進ぬ!電波少年でデビュー

なすびさんは1998年に前身の「進め!電波少年」からリニュアール企画第1弾として「人は懸賞だけで生活できるか?」に挑戦することになります。

この企画は都内のある部屋に若手芸人が集結し、くじ引きで当たりを引いた人が挑戦するという内容です。

なすびさんが当たりくじを引き、そこから過酷な企画へと飛び込んでいくことになりました。

この番組は毎週日曜日22:30からの30分間の放映で日本テレビでは看板番組の一つでした。

現在は地元福島のローカルテレビに出演中!

福島放送・水曜日レギュラー「シェア!」に出演中!

なすびさんの現在の活動は2002年にご自身が立ち上げた劇団「なす我儘(がまま)」で座長をつとめ、舞台の活動されています。

同時に福島のローカルテレビでレギュラー出演やラジオ番組にも出られています。

その他、仕事の合間を縫って地元である福岡のボランティア活動にも参加されていて地元ベースで幅広く活躍されています。

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なすびの懸賞生活がやらせだったのは嘘!

1988年日本テレビ系バラエティー番組「進ぬ!電波少年」に約1年3ヶ月、番組リニュアール企画第1弾の懸賞生活がやらせではないか言われていますが事実です。

懸賞生活の企画内容とは?

この懸賞生活の企画内容とは1998年1月から日本テレビ系のバラエティ番組「進ぬ!電波少年」の「人は懸賞だけて生きていけるか?」というコンセプトでスタートしました。

この企画番組は1年3ヶ月続き、なすびさんにとっては予期せぬ出来事で過酷の日々であったようです。。

くじ引きで当たりを引いたところから始まった。。。

この番組は、ある都内の一室に若手芸人が集結し、くじ引きで当たりを引いたなすびさんがある事に挑戦するといった内容でした。

某アパートに連れていかれ過酷な日々が待ち受けていた!

電波少年のプロデユーサー土屋敏男さん

当たりくじを引いてなすびさんは、当時メインプロデユーサーだった土屋敏男さんに都内の某アパートに連れていかれました。

全裸で生活?!

某アパートに連れていかれ、突然なすびさんは全裸になるように指示され「人は懸賞だけで生きられるか?」といったコンセプトでスタートしました。

毎日懸賞品にハガキで応募して、当選品の総額が100万円になったら終了といった内容です。

なすびさんはこの企画を開始してから336日の約11ヶ月で100万円達成しました。。

すごいですね。。約1年間応募しまくりで100万円達成とは。。

でも全裸はキツイですね。特に冬場は寒いので風邪を引きそうです。

全裸姿でアパートで過ごす事は非常に過酷であったとご自身が語っています。

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全裸姿で過酷だったエピソード5選!

この番組企画は、なすびさんにとって非常に過酷であり、プロデユーサーの土屋敏男さんとも当分顔も見たくない状況に陥ったと言われてます。

その過酷なエピソードをご紹介したいと思います。

①1日3食ドッグフード

なすびさんが過酷な中でツラかったエピソーとの一つがドッグフードの生を食べる事でした。

なぜドックフードを応募したのかと思いますよね?

それは懸賞生活の目標賞品総額100万円で、少しでも目標達成までに稼ぐ為、生きていく為にはやむを得ない事だったのです。

お米が当たった時は助かったようですが尽きてしまう時があるようで、その時に部屋にあったのはドッグフードだったんですね。。。

当時はスタッフから与えられた懸賞雑誌を見ては毎日100から200通応募していたようですよ。。

手首と指が毎日痛かったでしょう。。

生のドックフードはきつい

特に生のドックフードはキツイようでした。↓

缶詰に入っているような生タイプのものは味が薄いんですね。犬の健康を考えてなのかもしれないですけど、ほとんど味がないので生のは相当キツかったです。

BuzzFeedより引用

生タイプは薄味で無味に近いですね。。。

生タイプはそれほど食べる回数はなかったようで、袋に入っているドライタイプのものが多くスナック菓子のようにポリポリと食べれるようです。

極限までくると「海外のお土産で変な味のスナック菓子があるように、あれ?この味もありかも?」って感じになるようです。

結構長い間、1日3食ドッグフードを食べ続けるっていう、人間の尊厳を失うようなキツイ状況ではありました

そんなある日、またお米が当たった。これでドッグフードを食べなくても生活できる。人間の食べ物を食べられる…となった時は、嬉しかったです。

BuzzFeedより引用

人間の尊厳を失うようなキツイ状況。。。お察し致します。。

②交番に逃げ込む事を考えた

過酷なエピソーとの2つ目はあまりにも孤独で追い詰められていたなすびさん。

交番へ飛び込もうと思った時がありましたが、「全裸」である姿となすびさんの「父親が警察官」であったことから

留まります。

その理由は↓

裸のまま外に出たら、公然わいせつになってしまうかもしれない。「監禁されてます」と訴えるにしても、外に出た瞬間に通報されたり、逮捕されたりする可能性があった。

これは僕の個人的な問題でしかないんですけども、実は父親がもともと警察官だったんです。当時はまだ現役で、それなりの役職に就いていたので。

BuzzFeedより引用

もし警察に行っていたら、家族にも多大な迷惑がかかり父親も仕事を辞めなくてはならない状況になるのではないかと頭をよぎったようです。

こんな最悪な状況でも家族への思いやりを忘れないやさしいかたなんですね。

なすびさん自身もタレントになれなかったら警察官を目指す事を考えていたようなので、頭をよぎったのはないでしょうか。

③孤独感が一番ツラかった

3つ目の過酷な理由は「孤独感」です。

食べるものがない空腹感はもちろんキツかったですけど、それよりも何よりも一番つらかったのは孤独感です。

BuzzFeedより引用

1年以上も誰とも会わず、会話もなくひとりで過ごす事は誰でも辛い事だと思います。。。

テレビ番組だから、スタッフのかたがいるのでは?と思いますがあの空間には誰も居ない状況でした。

ホームビデオに自分で録画する

部屋にはホームビデオにホームデッキがつながれていたようで、ビデオのテープの交換や録画ボタンもなすびさん自身が行っていました。

ADさんがたまに来て、ハガキやテープの回収がきたようですが無言で帰れれるようで辛かったと言います。

プロデユーサーの土屋敏男さんから

あいつを孤独にしておいたほうが面白いはずだから、しゃべっちゃだめだぞ

を指示されていたようです。。。かわいそうです。。。

こんなつらい思いをするぐらいだったら、死んだ方がマシじゃないか。なんで僕ひとりだけ、つらい思いをしなきゃならないんだろうと、孤独感に苛まれました。

1年3ヶ月のなかでずっと自分を苦しめ続けたものは、実は孤独感だったのかな、と思います。

BuzzFeedより引用

孤独って怖いですね。。

たまにの孤独はいいですけど、1年3ヶ月も人と会話しないなんて、独り言をいってるとか歌う事しかないですよね。。

もし筆者がその立場だったら耐えれれなくて気が狂いそうです。

④再び韓国で懸賞生活と絶望

やっと1年3ヶ月で100万円達成したのに、今度は韓国に連れていかれてしまいます。。

企画内容は「懸賞生活 in Korea」

同じような内容で今度は韓国。。

もっとキツイですね。。この企画は短くで約4ヶ月で終了したようです。

また韓国で懸賞生活をやれとなった時は頭が真っ白になり絶望的になったようです。

テレビ画面も向こう側ではみんなゲラゲラ笑っているけれど、なすびさんは真っ青です、、、

人間こんなに残酷になれるもんだんだ。。

と人間不信になったようです。。

それはなりますよね。。

筆者もそうなります。

一時はプロデユーサーの土屋敏男さんの顔も見たくないほど会いたくなかったようですが現在は和解しているようです。

よかったです。。

⑤1日応募ハガキを書き続ける

なすびさんがつらかった事の5つ目は1日に応募ハガキを200枚から300枚書き続ける事でした。

毎日毎日、ハガキを書き続けると手が痛くなりますし、淡々とやり続けるのは簡単なようで難しいですよね。

当たった賞品の金額はわからないし、どれぐらいゴールに近づいているのかもわからない。暗いトンネルのなかを、前に進んでいるのか、後ろに戻っているのかもわからないような、手探り状態でした。

BuzzFeedより引用

暗いトンネルの中を前に進んでいるのか後ろに戻っているのか手探りの状態はキツイですね。。。

今では笑い話

今では上の画像のように本も出版され、あの時の事は良き想い出となっているのでしょう。。。

お疲れ様でした。。

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まとめ

なすびの懸賞生活がやらせだったのは嘘!全裸姿で過酷だったエピソード5選!と題してご紹介しました。

あの頃は笑ってテレビを見ていましたが、色々とご苦労があったとは調べていて気づくことが沢山ありました。

でもこの経験はきっと今の土台となってプラスの方向へと進まれているに違いありません。

なすびさんのこらからのご活躍を応援しております。

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