姫野和樹選手はトヨタヴェルブリッツに所属しており2023年9月8日から開催されるラグビーワールドカップでは主将を務めました。
ポジションはフォワードのNO8で体の大きさ、スピードとパワーそして的確な判断力でチームを牽引する選手です。
そんな姫野和樹選手は幼少期は両親の影響でとても苦労された過去があります。
その苦労した時代のエピソードを5つご紹介したいと思います。
姫野和樹のプロフィール

姫野和樹さんのプロフィールを紹介したいと思います。
名前:姫野和樹(ひめの・かずき)
ニックネーム:ひめ
生年月日:1994年7月27日 25歳(2023年9月現在)
出身地:愛知県名古屋市中村区
身長:187cm
体重:110kg
血液型:B型
高校:春日丘高等学校
大学:帝京大学
所属:トヨタヴェルブリッツ
ポジション:フォワードNO8
姫野和樹さんの経歴です
2017年:帝京大学卒業後トヨタヴェルブリッツに加入
同年5月にキャプテンに就任
サンウルブズの2018年スコッドに選ればれる
2019年:ラグビーワールドカップ2019日本代表に選出
日本代表初のベスト8入りに貢献
2021年:ハイランダーズに加入
ルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれる
2023年:ワールドカップ2023フランス大会メンバーへ選出
同大会の主将を務める
姫野和樹の壮絶な貧困エピソード5選!
姫野和樹選手は幼い頃は沢山の苦労をしてきました。
貧乏だった時代のエピソードがあります。
①両親不在の日が多くテーブルには1,000円だけ

姫野選手の住んでいたアパートは2Kで家賃は4万円。
間取りに対して家賃は安いほうですが父親と母親がパチンコで使ってしまうので食費や光熱費はかなり厳しかったようです。
先程も書いた通り、父親は給与袋から数万円しか母親に渡していないようでしたから、日々困窮であった事がわかりますね。
両親がパチンコで留守になる時は必ずテーブルに1,000円そっと置いてあり、兄弟3人の夕飯代として使う分のようでした。
まだ幼く自炊する事もできないようでしたから、コンビニでおにぎり3個と唐揚げ串3本買って兄弟で分けて食べたようです。。
1,000円の夕飯代ではおにぎりも具があまりない安いものを選んでいたんでしょうね。
心痛みます。。。
②お米が炊けない

母親がある日出掛けてしまい、代わりに姫野選手がご飯を炊こうと思い炊飯器にセットしてスイッチを入れましたが、出来上がり時間にふたを開けてみると炊飯器が故障していて、お米はふやけたままでした。
それを見た母親は半狂乱になって姫野選手を怒りました。
「もうフィリピンに帰る!」
家を出ようとする母親を兄妹と3人で必死に引き止めたそうです。
1回分のお米がだめになっただけで、家の中は乱れてしまうのはかなり家計は厳しいのがわかりますね。。。
③給食費が払えずいつも滞納

さすがにしんどかったのは担任の先生がクラスメイト全員の前で給食費の催促をする時だったそうです。
姫野選手は毎月必ず、先生から給食費を催促されていて辛い思いをしていたようです。
先生も親に連絡して催促すればと思いますが当時はどうだったのでしょうか。。。
④自殺を考えた

ある時、あまりにも切羽詰まった時に一度自殺を考えたそうです。
包丁を自分の喉の向けてみましたが仲のよい友だちの顔が浮かび、楽しく遊んでいる時を思いだし思い留まりました。
辛いときはいつも夕日や景色を観て癒やされるのが好きで何かあった時は1人でぼんやり見るそうです。
両親はパチンコ三昧で夫婦喧嘩も耐えないあのアパートでの生活に「早く抜け出したい」といつも思っていました。。
その強い思いはラグビーへと繋げていきます。。。
中3の愛知県選抜に行けなかった

姫野選手が中学3年生の時、ラグビーの愛知県の選抜に行くことを断念しました。
理由は「家にお金がなかったから」です。
2万、3万する合宿のお金も出せなかったと悔しい思いをしています。
友達には恥ずかしくて言えなかった
ラグビーの仲間たちにはお金がないとは言えなかったので
俺もう愛知県ラグビー好きちゃうから
と辞めた理由にしていました。
泣けてきますね。。
強かったけど感情的になる
姫野選手は中学時代はとても強く練習するとのみこみが早く、コンタクトプレーは抜群だったそうです。
「ボールを持って当たるとき、飛ばしたり、落としたり、ハンドオフしたり。そういうプレーは、たいていの子は教えてもできない。でも姫野はパカンパカンとやりだした。それで、普通ならパスしろというところを、『パスせずに1人で12人をなぎ倒してトライを取れ』って言ったんですけど、本当にやってしまった」
デイリースポーツより引用
すごいですね。1人で12人をなぎ倒してトライを取るとは。。。ドラマのようですね。。
きっと家庭の辛さをぶつけていたのでしょう。
ただ1つ姫野選手には弱点がありました。
それはプレーにおいて感情的になることでした。
「当時は荒々しい。気性が荒い。やんちゃ。いい言い方をすると負けん気が強い。いい言い方じゃないとコントロールが利かない。感情的になる」
デイリースポーツより引用
「荒々しい」「気性が荒い」など強くセンスのある選手ですが、1つ感情的になることがコーチは心配だったようですね。
きっとこれは家庭環境が左右しているのではないかと思いました。
毎日の貧しい生活に嫌気がさし、その負のエネルギーをラグビーにあてていたのではないでしょうか。
両親のギャンブルで苦労の連続だった!
姫野和樹選手は幼少期から高校時代まで壮絶な生活を送っていたようです。
困窮するくらい貧しかった

姫野和樹選手は愛知県名古屋市に生まれ育ちます。
家族は日本人の父、フィリピン人の母、姉と妹と5人家族です。
最寄りの駅から徒歩20分の古い木造アパートの2階で間取りは2Kと5人家族では狭く、寝る時は手前の部屋に子供3人、奥の部屋に両親が寝ていたそうです。
2つの部屋は物が散らかり、夏は姫野選手が大嫌いなゴキブリが沢山でるような日々の生活に困窮するくらいに貧しかったようです。
幼い頃に貧乏だと認識した
姫野和樹選手が住んでいた場所は名古屋市内でも下町なので周辺の小学校や中学校にはそれほど裕福な家はなかったようですが、その中でもダントツに「うちは貧乏なんだ」を子供心にわかっていたと語っています。
父は鉄工所で働いていた

姫野選手の父親は無職ではなく鉄工所で働いていて月給制だったので月に1度給与支給されていました。
母親は働いていなかったようですね。
パチンコに全て使ってしまう

姫野選手は今でも鮮明に覚えている事があります。
それは父親の給料日のことです。
給与は銀行振込ではなく手渡しで封筒に入ったお金を家に持ち帰ってくると、父親は1万円札を数枚母親に渡し、あとは全て両親がパチンコに使ってしまいます。
いつも給与が出た当日は決まって父親と母親は朝から晩までパチンコで家からいなくなるそうです
両親はギャンブル中毒だったようですね。。
姫野選手は子供心に寂しく辛い思いを沢山されていたのですね。。。




まとめ
姫野和樹の生い立ちが壮絶すぎる!貧困時代のエピソード5選を紹介しました。
幼少期から高校時代まではとても辛い日々があり、人一倍努力根性があるのかもしれませんね。
この負のパワーを正のパワーへと変えた姫野選手。
これからの活躍を応援しております!